Period.

N o v e l

2020年9月19日 読了時間 : 50分

小説一覧に戻る

クダンの祈り〜件〜

【クダンの祈り~件~】



 《0》



 どんな人間にも陽が差す、同時に陰も差す。

 優しくなりたいのなら、厳しくいなければならない。

 誰かに微笑む時は、誰かに背を向けなければならない。

「+」を書くには「−」も書かなければならない。

 どの角度から見ても善人なんて人はいないし、どの角度から見ても悪人なんて人はいない。

 正義の反対は悪では無くもう一つの正義で、悪の反対は正義では無く別種類の悪。

 嫌われる事も無く、笑われる事も無く、恨まれる事も無く、妬まれる事も無く、憎まれる事も無く、呪われる事も無い命は無いし

 好かれる事も無く、求められる事も無く、喜ばれる事も無く、羨まれる事も無く、憧れられる事も無く、愛される事も無い命は無い。



 何かを好く事と、何かを嫌う事は同じ心から生まれる感情だから、その中に対立なんてものはない。その心に感情が生まれたのなら、好きも嫌いも表裏一体。見る角度の違いでしかない。

 あなたの好きな人は、たまたまあのタイミングであの角度から見たから好きになれた人。

 あなたの嫌いな人は、たまたまあのタイミングであの角度から見てしまったから嫌いになった人。

 なんであれ、あなたの心が動いて認識したのならそれは全て『愛』で、それは全て『呪い』だ。



 もしもその感情に対立しているものがあるとすれば、こんな言葉がある。

『愛の反対は憎しみでは無く、無関心』

 それでは、この言葉に倣って無関心になった対象はどうなるのかというと。



 無い。掛け値なく、無い。

 ただそれだけ。

 突き詰めると、無関心なんてものは無い。

 何故なら、無いからである。無いものは認識できない。つまり『無関心がある』なんて事は無い。



 ではここで、もとい人間とは『陰』と『陽』のどちらのつもりなのだろうか。

『陰』だから『陽』の射す場所を求めて善行に走るのか。

『陽』だから『陰』に囚われないように善行へ走るのか。

神が崇められ、悪魔が恐れられる中、『人間』はどちら側なのだろう。



 まさかどちらでもなく『無』だからこそ、何かを信仰して何かを呪う事で存在しているなんて事は無いと信じたい。



 もしも、そうなのだとしたら、

 神も仏も、悪魔も妖も、人も化物も、あったものでは無い。





 《1》



 狸に化かされた。勘違いなんてレベルじゃ無い。これは狸に化かされたに違いない。

 確かにいつも以上に考え事ばかりしながら歩いていた。だからここまでの道程をよく覚えていないだけだ、と一蹴されたらぐうの音も出ない。

 否、今回ばかりは出る!それも「ぐう」どころか「わあ!」と出る!

 だって勘違いで誤魔化せるレベルじゃない程の速さで目的地に着いていたんだもん!わあああ!

 ……あれ、……全然理由になってない。どころか一行目の台詞を少し長く言っただけになっている。でもこれ以上弁護するに足る理由がない。

 あ、ごめんなさい。ぐうの音も出ません。勘違いで誤魔化す事にします。

 ん?誤魔化す?なんだこの字!狸に化かされた事を前言撤回して束の間、やはり化かされるのか!どころか僕は狸と言ったのに、撤回したら悪魔が出てきたぞ!すいません、やっぱり撤回しません!否、撤回した事を撤回します!狸です、狸!僕が化かされたのは狸の方です!悪魔に化かされるくらいなら狸の方がマシです!ていうかちょっと誇張しただけじゃないですか!何でこんなに退っ引きならない状態にまでなるんですか!悪魔と遊べば悪魔になるって言うやつですか!すいませんでした、もう二度と摩訶不思議な言葉遊びなんてしませんから!勘弁してください!わあああああ!



「何してるの?。」

 わあ、びっくりした。おばあちゃんか。

「そろそろ来る頃かなと思ってロビーまで迎えに来たら、ずっと病院の外でボーっとしてるからどうしたのかと思ったよ。」

 あれ、そんなに長くボーッとしていたのか。しかもこんなところで。この距離じゃずっと自動ドアが僕を認識して開きっぱなしだっただろうな。

 なんだか今日はずっと体感と時間が合わないな。それもこれも、あの都市伝説を聞いたからだろう。僕の与太話が昔から好きなおばあちゃんに聞かせようと思って、話し方の構成を考えながら歩いていたら、構成どころか都市伝説についていろんな事を考えてしまっていた。全くつくづく化かされた気ぶ……おっと危ない。禁句だった。……大丈夫か?悪魔はいないか?

「ふふ。どうしたの。入りなさい。お腹空いてるでしょう。」

 別に空いてないよ、と何故か強がろうとするや否や、ぐう、と腹の虫が鳴った。こいつめ、おばあちゃんに呼ばれたとばかりに鳴きやがって。

「うん、じゃあ食べようね。行くよ、来未(くるみ)。パンもお菓子もあるから。」

 何だって?それじゃあ行こう、すぐに行こう。おい、聞いたかマリー・アントワネットよ。僕のおばあちゃんは最高の聖人君子だ。あれ、これってマリー・アントワネットのセリフじゃないんだっけ?まあいいや。因みに、パンとお菓子に並べて「くるみ」と言われると食べ物を連想してしまうが、僕の名前である。女の子みたいな名前だから僕自身は気に入っていない。

「今日はとっておきの面白い話があるから聞かせてあげるね」と言うと、おばあちゃんは「それは楽しみだね。」と言って僕の手を握った。

 そして二人で手を繋ぎながら、おばあちゃんの病室へと向かった。





 《2》



 病室に向かう道中は、やや斜め下を見ながら、なるべく床以外の景色が視界に入らないように歩く。病院までの道程は考え事をしながら歩いて、病室までの道程は床だけを見て歩く。我ながらちゃんと前を見て歩け、怪我するぞ、と言いたくなるが、病室まではおばあちゃんが手を引いてくれているので大丈夫。例の禁句も使う事はない。

「はい、いらっしゃい。」僕はおばあちゃんが言う「いらっしゃい」が嫌いだ。しかし、その言葉でどうやら病室に着いた事が窺える。僕はここに来て顔を上げて、おばあちゃんのベッドの横の椅子に腰掛ける。おばあちゃんは予告通りパンとお菓子、それと飲み物二人分を出してベッドに入った。さながら今から映画でも観るかのようだ。もちろんおばあちゃんは僕が予告したとっておきの面白い話に映画を見る以上にワクワクしているのだろう。そこまで期待されると、やっぱりちゃんと話の構成を考えておけば良かったと少し後悔する。大言壮語も甚だしい。

「そんなに期待しすぎないでよ」とここに来て前言撤回を試みて急にハードルを下げる。これは大丈夫だよね?悪魔はいないよね?おっと、ここでキョロキョロするのはやめておこう。

「うん。でもおばあちゃんにとっては昔から来未の話を聞くのが好きだから。入院すると尚更、自由に外に出られなくなるからね。ニュースなんて嘘か本当かわからない事より、来未の話で、外の世界は今こうなっているんだろうな、って知れるのよ。」

 外の世界を知れる。そんな事を言われると、期せずしてあの絵描きと重なってしまうじゃないか。これから話す都市伝説だって『都市伝説』と銘打っているくらいだ、嘘か本当かわからない。寧ろニュースの方が真実味があると思うけれど、おばあちゃんの言っている事はそう言う事ではないのだろう。嘘でも本当でもその話が流行っていると言う事実が、おばあちゃんにとっての本当の外の世界なのだろう。

「今日の話は、なんて言うか不思議な話というか、少し怖い話かもよ」

 そう前置きをするとおばあちゃんは少し驚いた顔で「来未が怖い話をするとはね。初めてじゃない?」と言った。

 そう、多分初めてかもしれない。何故なら僕は怖い話が嫌いだからだ。それは決して臆病とか怖がりだからという理由ではない。それが理由だとしたら前言は「怖い話が苦手」になるのだろう。

 そうではないのだ。前言通り僕が言っているのは「怖い話が嫌い」である。もう少し正確に言うなら、幽霊の話が嫌い。



 何故なら、僕には幽霊が見えるから。



 物心ついた頃にはもう見えていた。両親曰く、物心つく前からどうやら見えていた。そんなに幼い頃から見えていると、当然ながらと言うか、愕然ながら人間と幽霊の区別が付かなくなる。五年前に小学校を入学してからも、同じピカピカの一年生だと思って遊んでいた友達が、ドヨンドヨンの幽霊だった。そんな学生生活のスタートを切ったもんだから、当然他の同級生は僕を不気味がって近寄らない。そして小学六年生の今も尚、友達はほとんどいない。

 友達がいないのは幼稚園の頃から同じ理由で、幼稚園入園以前から親には見えない誰かと遊んでいたらしい。生まれつき見えるだけでなく、惹きつけもするらしい。唯一の兄弟である兄も、たまに僕を不気味そうに見ていた。

 だから学校なんていう幽霊のお立ち台みたいな場所でも、基本的に授業以外の時間はずっと本を読んでいる。他の景色が目に入らないように。というより、幽霊が目に入らないように。お陰でこんなにも博学です。どんなもんだい。そして学校が終わればなるべく床だけを見ながら直ぐに帰る。

 そう、だからこの病室までの道程も床だけを見て歩いていたのだ。それこそ学校より幽霊のお立ち台みたいな場所、幽霊のステージと言っても過言じゃない場所で、まともに前を見て歩くなんてできっこない。おばあちゃんもそれをわかっていて、いつもロビーまで迎えに来て、僕の手を握ってから病室に戻るのだ。もちろん、この病室だって病院の中だ。幽霊がいない訳ではないけれど、チラホラ視界に入るくらいなら町を歩いていたって同じ事だ。だからと言ってキョロキョロせず、なるべくおばあちゃんだけを見るようにしているけれど。

「怖い話して大丈夫なの?。」と恐る恐るおばあちゃんは聞く。怖い話をすると集まって来る、なんて言うからね。それを危惧して怖い話を避けてきたのだけれど。

「怖いと言っても、この話は幽霊というか妖怪みたいな話なんだ」似て非なる二つ。

「都市伝説なんだ。だから大丈夫」とおばあちゃんの心配を拭った。

 その言葉に少し表情が和らいだおばあちゃんは「そう。じゃあ聞かせてもらうね。」と言った。

 では、上手く話せるかはわからないけれど、話させて頂こう。

 東西東西。





 《3》



 『大昔、この田舎町にはある絵描きがいた。その絵描きが描く風景画は誰もを魅了した。その絵描きは風来坊な人間で、その田舎町を出て数ヶ月旅をしては、いろんな景色を絵に収めて帰って来る。そして皆にその風景画を土産として配った。数に限りがある絵を皆が欲しがった。喉から手が出る程に欲しがった。この町の外の世界をあまり知らない町人達にとって絵描きは崇高な存在で、外の世界を教えてくれる絵描きを神様の様に崇め奉った。町人全員が絵描きの帰りを待ちわびた。ある日、再び絵描きは帰ってきた。顔を涙でぐしゃぐしゃにして、血の気の引いた青ざめた表情で、いつも大荷物で帰ってくる筈が何も持たずに、どころか出発した時に持っていた荷物すら何も持たずに、もちろん風景画一枚も持たずに、血眼で息を荒くして帰ってきた。何があったのかと皆に問われた絵描きが開口一番に言った言葉は「妖が出た」だった。町人達は大笑いした。絵描きは真剣に説明をしたが、真剣になればなるほど町中の笑い声は大きくなった。その夜、どこからともなく不気味な鳴き声のような唸り声のような音が、明け方まで町中に鳴り響いた。次の日から絵描きは絵を大量に描き始めた。それは風景画ではなく不気味な生き物の絵だった。4本足の動物の体、しかし頭部は人間の顔をした生き物の絵。その不気味な生き物の絵を何枚も描いて、町中にばら撒きながら「化物を見た。災いが起きるからこの町を出よう」と絵描きは皆に言って回った。しかし、町の人気者だった絵描きは既に大笑い者に、そして昨夜の不気味な鳴き声も相まって、この行動により町の厄介者になり、皆が彼を不気味がり、忌み嫌った。「狸に化かされたんだ」「狐につままれたんだ」という声も多く出たが最終的には彼自身に妖怪変化の類が取り憑いたとされ、彼は町を追い出された。その数日後、町に大きな地震が起こった。この地震で建物は崩れ、一部では火事が発生して町は大災害に見舞われたが奇跡的に死者は一人も出なかった。この地震で町の近くの山に町人達は一時避難したが、その際何人もの人が山の中で行方不明になった。数時間後に発見された人もいれば、一週間ほどして発見された人もいた。結果的に全員発見されたが、みんな口々に「不思議な祠を見た」と話した。なんでも普通の祠に比べてボロボロでガタガタで、かろうじて祠と認識できる程だが、他の歴とした祠に比べて一線を画して惹きつけられるものがあったと言う。そしてこの行方不明事件は神隠しという事になった。結果としてこの災いを町の人々は絵描きとこの絵の化物の祟りとして、絵描きがばら撒いた化物の絵はもちろん、あれだけ気に入っていた絵描きの風景画をも皆が燃やした。加えて神隠しによる例の祠も何か因果関係にあると思った町人達は、祠も壊そうと町人総出で山に入り探し回ったが、何故かその祠は見つからなかった。最終的に祠探しは中止され、この町には『呪いの祠』として語り継がれた。』





 《4》



「クダンの祈り。」

 え?なんて言った?おばあちゃんが突然放った言葉に少し驚いた。

「クダンの祈りだよ。その話、都市伝説とやらのタイトル。」おばあちゃんは微笑みながら言った。

「え、この都市伝説を知ってるの?」

「うん、知ってるよ。昔からこの町にあった話だよ。懐かしいなぁ。おばあちゃんが初めて聞いたのは、確か中学生くらいの頃だったかな。口裂け女やコックリさんと同じように、当時はクダンの祈りで持ちきりだったのさ。」

 口裂け女。コックリさん。

 それは僕より年上の世代で、おばあちゃんよりもっと若い世代の流行りだったのだろうけれど。クダンの祈りとやらは、おばあちゃんにも僕達にもドンピシャの流行りだった。リバイバルというやつか。その二つに比べてこの都市伝説は局地的なものではあるけれど。

「リバイバルなんて言葉はおばあちゃんの頃には無かったけどね。でも本当に懐かしいなぁ。当時クダンの祈りが流行って、みんな『呪いの祠』を探しに山に入っていたよ。結局発見されなかったけどね。今は都市伝説なんて言われ方しているのね。おばあちゃんの頃は、言い伝えって言っていたよ。」

 言い伝え。都市伝説に比べてもう少し噂話というか、世間話に近いニュアンスではあるが、実際のところその二つの意味にはどういう差があるのだろう。

「どうだろうね。言い伝えは、人から人に言葉として、その人の意思で誰かに伝わる話、って感じがするけれど。都市伝説ってなると、まるでその話に意思が宿って、人が都市伝説に喋らされている、って感じがするなぁ。さしずめ、自発的にリバイバルさせたって感じだね。」

 おばあちゃんはさらに微笑みながら言う。

「それにしても、言い伝えにはあって都市伝説にはない部分があったな。」

 この時点でこの話の聞き手は僕で、話し手はおばあちゃんになっていた。



「まず、タイトルにも入っているようにその化物は『クダン』って言われていたの。漢字で書くと『件』。なんでも頭部は人間で身体は牛、もしくはその逆の姿をしているみたいでね。だから人偏に牛と書いて『件』。『呪いの祠』というのも、ここまで聞けばわかると思うけれど、クダンを祀った祠とされていてね。おばあちゃんの頃は『クダンの祠』と呼ばれていたね。そしてその絵描きが描いた絵がクダンとされているんだけれどね、その絵を燃やしたがらない人もいたみたいで、なんでもその絵を奪ったり奪われたりで町はちょっとした暴動にまで発展したって。絵を燃やしたい人の意見は話の通りで、燃やしたくない人の意見は『化物は実は山の神様で、絵描きはその神様の教えを私達に伝えていたんだ。だから死者が1人も出なかったんだ。守ってくれたんだ』と言うものだったらしいよ。」



 なんだかおばあちゃんの追加情報ならぬ追加伝説を聞いて、この都市伝説の印象が大きく変わったような気がする。人間模様が足されて、なんだか現実味を帯びた気がする。まさか暴動が起きていたとは。そして、まさか化物ではなく神様、祟ではなく崇高に思っていた人がいたとは。

「お爺ちゃんも、クダンは化物じゃないって言っていたっけね。」

 お爺ちゃん。僕が1歳の頃他界したお爺ちゃん。僕にはお爺ちゃんの記憶は無いけれど、おばあちゃんからよくお爺ちゃんの話を聞いていた。お爺ちゃんもクダンを神様と思っていたのか。

「神様とまでは言わなかったけれどね。悪いモノじゃない、とは言っていたよ。」

 曖昧な言い方だけれども、お爺ちゃんはなぜそう思ったのだろう。一度くらい、ちゃんと話してみたかった。

「それで?来未達の中でもクダンの祈りが流行っているって事は、祠探しも流行っているんじゃないの?。」さすがおばあちゃんだ。その事は言わなくていいと思っていたのだけれど、そこまで勘付いているなら隠しても無駄だろう。僕は「うん」と返事をした。

「血気盛んな若い子は必ずそうなるだろうね。ましてや意思を持った都市伝説になっているんだからね。意欲も持たされるって感じかね。」おばあちゃんは僕の顔を伺いながらそう言った。そして続けた。

「でも来未は、探しに行かないんでしょ。」

 その通り、僕は祠探しなんてしない。それは共に探しに行く友達がいないからではない。単純にそう言う場所には近づきたくないからと言う理由である。妖怪の話をするくらいならまだしも、その話にまつわる場所に行くとなると、それこそ話が別である。

 けれど、そんな事わかっているおばあちゃんが、こんなに僕の顔を伺いながら言うのには、きっと理由がある。否、よそよそしい言い方は止めよう。僕に理由があるからだ。おばあちゃんはそれをなんとなく読み取っただけなのだろう。本当におばあちゃんの前では隠し事ができないな。



 この都市伝説が流行り、既に祠探しをしに山に入った人は何人もいるらしい。今のところ、伝説通り誰も発見できていないらしいが。だからなのだろう、今まで僕を不気味がって裏で噂して忌み嫌っていた同級生が何人も「一緒に行こう!お願い!」と僕に向かって手を合わせて誘ってきた。最初は少し嬉しくなってしまったが、そんな喜びは直ぐに無くなった。「だって君、幽霊が見えるんでしょ?」そう言われて愕然とした。そうか、だから「お願い!」なのか。だから手を合わせたのか。僕は誘われたのではない。都合良く願われたのだ。

 散々除け者にしたくせに今更近付いて、誰も辿り着けていない祠に辿り着くための電波に使おうなんて、探知機代わりに使おうなんて。途端に神様、仏様みたいに人に向かって手を合わせてお願いなんて、掌返しも大概にしろ。

 こんな奴ら、オトロシ(妖怪)のいい餌になってしまえ。

 久しぶりにものすごく腹が立った。しかし同時に深く考えてしまう事もあった。

 神様の様に愛され、悪魔の様に忌み嫌われた絵描きと、

 悪魔の様に睨まれ、神様の様に手を合わせられた僕。

絵描きは一体どんな気持ちだったのだろう。

 そんな風に絵描きと自分を重ねて、絵描きと僕の凹凸を重ねて感情移入してしまったから、病院までの道中も、病院の入り口の前でも、周りが見えなくなるくらいに考え込んでしまったんだろう。

 そしてここまでの話を聞いて思う。絵描きにとってその化物は、最後まで化物だったのだろうか。それとも神様になれたのだろうか。そんな事を考えてしまう。



「おばあちゃんなら、どうする?」おもむろに聞いた。

「そう聞いた時点で、おばあちゃんなら答えは出ているかな。」待っていたとばかりに、テンポ良くそう返された。

 だから隠し事はできないって分かっているのに。どうしても強がってしまう。

「僕もクダンの祠を探す。そうしないといけない気がする」少し俯きながら呟いた僕に「それが都市伝説の意思によるものでも?」とお婆ちゃんは少し意地悪に言った。俯きながら「うん」と僕は言った。

 なんとなく気になるなんてレベルじゃない。周りが見えなくなるほど考えさせられている。心にグルグルに絡まってしまっている。このままでいるのは気持ちが悪い。そう思う事すら、まんまと思うツボなのだとしても、何とかしたい。これ以上この都市伝説を追求する方法は、祠探ししかない。

「そう。じゃあこれ貸してあげる。」そう言ってお婆ちゃんはベッド脇の棚に置いてある掌サイズの小さな人形を渡して来た。

「それは昔お爺ちゃんと旅行に行った時にお揃いで買った魔除けの人形。気休めにしかならないし、もう何十年も前だから、効力があっても残っちゃいないと思うけどね。お婆ちゃんのお気に入り。死んだら棺桶に一緒に入るつもりだから、貸すだけ。返してね。」

 死んだら、なんて言葉は聞きたくもないけれど、それくらい大事な物なら大切に借りよう。

「ありがとう」と言って受け取った。



 それにしても本当にここまでこの都市伝説に興味を持つなんて。ここまでくると、おばちゃんの言う都市伝説に意思がある、と言うのも、なかなかどうして言い得て妙である。

 都市伝説が意思を持って話をさせた。でも、そうだとしたら今更何の為に。

「きっとね、都市伝説からしたら今更じゃないんだよ。今だからこそなんだよ。」

 今だからこそ。なんだその好機を待っていたかのような言い方は。今からまた何かが起こるという事なのか。

「好機を待っていたというよりは、光輝を逃さないって感じなのかな。」

 好機ではなく、光輝。ひかり、かがやきを逃さない。

「つまり、また自分を流行らせる。流行らせるって言い方は少し大袈裟にしても、まあ簡単に言えば、忘れられたくないんだよ。語り継がれていたいんじゃないかな。そうでもしないと、本当にもう消えてしまうから。今度こそ消えてしまうから。」

 今度こそ消える。その言葉を聞いて、僕はある言葉がよぎった。誰かの台詞だ。



『人間は二度死ぬ。肉体が滅びた時と、みんなに忘れ去られた時。』



 クダンは人間ではないけれど、生き物である以上、そういう事なのか。

 クダンの祈りが言い伝えられていた時代。人が人の意思でクダンを広め続けた時代。それが途絶え始めた頃、クダンの最後の命の火が消え始めたから、都市伝説として人に広めさせた。そうする事で、命の火に酸素を送って灯っている。



「じゃあ、そろそろ暗くなってきたし、今日はもう帰りなさい。来てくれてありがとうね。」

 そう言われて窓の外を見ると、空がほとんど夜の色になっている事に気が付く。また体感と時間が合わない感覚に陥った。

 僕は、見送りしようとベッドから降りようとするお婆ちゃんを制して「今日は一人で帰るからいいよ。魔除けもあるしね」と言った。

 お婆ちゃんは心配そうな顔をしたが、直ぐに笑顔を作って「そう。気をつけてね。」と姿勢を戻した。

 魔除けの人形をギュッと握って、次に引き戸の取っ手を握ってから、一つ聞きわすれている事に気づいた。

「ねえ、お婆ちゃんにとって、クダンは化物なの?神様なの?」振り向いて尋ねると、お婆ちゃんは微笑んで言った。

「来未が祠探しから帰って来たら教えてあげる。」





 《5》



 翌日、放課後のチャイムが鳴って、いつも通りなるべく床を見ながら一目散に校舎を出て、僕が出口に選んだ校門は、いつもの校門と真逆の校門だった。下校のチャイムが、いつもなら終わりのチャイムに聞こえているのに、今日ばかりは始まりのチャイムのようだった。

 そう、僕は昨日の今日で祠探しを決行するつもりなのだ。『思い立ったが吉日』という言葉には多分に共感できるところがあるが、それ以外に大きな理由があった。

 同級生が僕に手を合わせてお願いして来た祠探しの日程は、揃って今週の土曜日と日曜日だった。僕だってできる事なら学校が休みで朝から動ける土日のどちらかが良かった。これから日が暮れる放課後なんて選びたくなかったが、それより何より、祠探しの最中に同級生と鉢合わせることの方が僕にとっては避けたい事だった。

 それに本日は金曜日。今日を逃せば明日からの二日間は行けない。来週の土日だってきっと祠探しは行われるだろう。それなら、熱のあるうちに動ける今日にしたい。突貫工事ではあるが、この勢いに乗らなきゃ祠探しなんてそんな不気味な事はできない。だから僕は今日を選んだ。モタモタしていたら、タイミングを逃して会えないかもしれない。だから今すぐに動く。

 会えないかもしれない?会う?今僕がそう言った?何に?まあいいや。



 昨日お婆ちゃんの病室を出る直前にさらに教えてくれた追加情報ならぬ追加伝説があった。それはクダンの祠のある場所のヒント。ある場所のヒントなんて言うと、この時点で実在する様な言い方になるが、あくまでこれも都市伝説、否、言い伝えによるものだ。その行方不明になった人たちの証言によると、ある一箇所を中心に、その付近にあることが絞られているらしい。

 その一箇所と言うのが、道祖神の祠である。

 この道祖神の祠は実在するもので、現にクダンの祈りに感化されて祠探しに出た人々のほとんどはこの道祖神の祠しか見つけられていないらしい。そうなると実は全く別の場所なんじゃないかとも思うけれど、一先ず頼りがあるなら無視はできない。それにその道祖神の祠は確か山の麓にある神社の奥に続く道を進むとあるらしいので、まずはその神社が目的地だ。

 そしてその神社というのが、いつもの下校道の真逆の方角にあるのだ。そもそも家に対して学校の反対側に頻繁に行かない僕としては、地元とは言えホーム感が薄れて少し不安になる。そう考えると、学生にとって学校という建物は、なかなかどうしてただの建物以上に生活行動範囲に影響している。まるで灯台の様だ。だとしたら、これから進むにつれて自分の体の向きに対してどっち側に灯台があるのかを意識して進む様にしよう。

 ここまで大袈裟にいうと、学校の反対側にまるで足を踏み入れたことがない様に思えてしまうかもしれないけど、そんな事はない。少なくとも生まれ育った地元である。縁も恩も所縁もある。

 ただ、どれだけ近くにあっても、自分の生活のルーティーンに組み込まれて居ないものというのは、それだけで新鮮で目新しくて、そして何より恐い、ということである。どうしても大袈裟に用心してしまう。

しかし、それぐらい大袈裟に用心しておいて然るべきだろう。何せ、行動範囲は地元とは言え、これから行う行動自体は『祠探し』だ。そして最終目的地は山の中。自然と恐怖心は湧く。山だけに。



 季節は七月初夏。微かに夕刻の色が混じった空。時間はこれから黄昏時へ。そして、逢魔時へ。



……うん。やっぱり目新しい。歩き始めて早速、こんな家あったのか、とか、この家と家の間にこんな細い道あったのかなど、ついついキョロキョロしてしまう。なんだか知らない町に飲み込まれた気分だ。流石にここまでアタフタしていると、相当動揺しているんだなと俯瞰的にも自分が見えてしまう。あまりにキョロキョロしながら歩いたせいで、おそらく曲がるつもりの道を過ぎてしまった様だ。来た道を戻ろう。

戻ったら戻ったで、さっき通った道なのに向かう方向が違うだけでまた見えなかった物が見えてしまう。ただ踵を返しただけなのにこんなに違う風景になるのか。再びキョロキョロしている自分に気付いた。駄目だ駄目だ、と自責の念に駆られてあたりを見回すと、おいおい、これまた道を過ぎたんじゃないか?二度目だぞ。

 なんだかヤバイ気がしてきた。もう一度同じ道を戻ろうかと思ったが、つい周りを見渡してしまう様じゃまた過ぎてしまい兼ねない。昨日はあんなに周りが見えなかったのに、今日は周りばかり伺ってしまう。だからと言って目隠ししながらなんて曲芸使いでもあるまいし、ここは道を戻るのではなく、道を変える事にしよう。

今まで歩いていた道はこの町のちょっとしたメイン通りになっていたので適当な路地を曲がろう。今立ち止まっている場所からすぐの路地を選んだ。そのまま路地を進めば地形状、山にぶつかるはず。あとはその山の麓を伝う様に歩けば逆方向に進まない限り神社には着くだろう。迷子になったのなら、進める方角を潰していけばいいだけの話だ。

 迷子になったのなら?迷子?今僕は迷子なのか?否、少し道を間違えただけだ。この程度で迷子と言われたら、世の中みんな迷子だろ。いや、世の中で迷子じゃない人なんかいるのか?みんな少なからず何かに悩んだり、苦戦苦闘しながら生きているんじゃないのだろうか。

 いやいや、それはまた別の話。こういうことを言い出したら長く深くなりそうなのでやめよう。僕が迷っているのは、あくまで実際の道の話。人生の道を説いているのではない。

 道の話だけに、脱線するところだった。



 そんなことを考えながら歩いているうちに、予想通り道の先に山の麓が見えてきた。このまま進んで後は山伝いに道を曲がれば。

ん?山が近付くにつれて、その山の麓に何かが見える。目は良い方ではいが、メガネもかけているし、まあまあ近付いているから、その何かが何なのかがわからないのは視力の問題ではなく、それ自体が自分の見たことのあるものの中で一致しないからである。認識できないのである。訝しみながら近付いて行く。

 そして、いよいよ麓まで着いたところでやっと、「トリイ?」つい片言になってしまった。鳥居。

 それは鳥居というには心細い程にガタガタで、少しの強風で今にも倒れそうな程に傾いた状態の木製の鳥居。しかも神社などにある大きな鳥居とは違い、少し屈まないと潜れないくらいの小さな鳥居。

こんな所に鳥居があるなんて。

 まあ僕がくぐるつもりの神社の鳥居は、屈むことなく悠悠自適に潜れる鳥居なので計画通りこのままこの山を伝って進む事にしよう。と方向転換をして束の間、あれ?道がない。

 そこは使われているのかどうかもわからない工場の様な建物で塞がれていた。人気が全くないので廃墟なのかもしれない。

と思ったところで、そういえばここまでの道程で全然人とすれ違った気がしなかった。田舎町とはいえここまで人の気配に触れていないなんて、どれだけ周りの景色に気を取られていたのだろうか。自己に夢中で、事故に合わなかっただけ幸いか。



否、もしかしたら既に事故にあって僕は命を落としている可能性は皆無ではないだろう。

小さい頃、夏にやる心霊番組なんかで見た事がある。

 ある一家の一人の子供が、交通事故で数年前に他界していて、今だにその悲しみに囚われている遺族の家に不可思議な怪奇現象が起こる為、霊能力者に診てもらう、という番組。

 結果からして、その現象は亡くなった子供によるもので、その子供はまだ自分が事故死した事に気づいていない。故にこの家でまだ生活をしていて、その物音が、家族を悩ませる怪奇現象になっていた。そしてその霊能力者は、その子供に亡くなっている事実を伝えて、成仏させる、という結末。

僕は小さいながらにこのテレビを見て、その後ずっと考え込んでしまい、鳥肌が立つ程何とも言いがたい気持ちに陥ってしまった。

 だって、その子供は自分が死んでいる事に気付かずに生活をしていたのだ。それも数日でなく数年。普通なら、死んでしまった自分の事が見えていない世界で生活することは、どうしたった違和感を覚えるはず。学校に行ってもみんなから無視されて、生徒どころか先生からも無視されて、家に帰っても家族全員が自分に気付かない。それどころか自分の遺影が立てられた仏壇がそこにあれば、少なくとも数日で事実には辿り着くはず。

 それを数年間も気付かずに生活していたという事は、つまりその子供の脳の中で出来上がってしまった架空の世界で生活していたということになる。事故のショックで、その瞬間にその記憶だけ飛んでしまい、自分の中だけの世界にシフトチェンジしてしまった。人間の曖昧な脳ならありえる話だ。そもそも生きている時点で、脳はいろんな事を不確かなまま事実として本人に伝達してしまう。大なり小なり誰でも経験した事のある話だろう。そんな世界でなら、みんな無視しないし、普通に、寧ろ自分が作った世界ともなればそれなりに幸せに生活していた筈だ。

 そこに急に、知らない霊能力者を名乗る大人が自分の目の前に現れて「君は死んでいるんだよ」と告げるのだ。そんな事実、どうやって受け止めたらいいんだ。どうやって納得したらいいんだ。

 それでも、仮にも霊能力者を名乗っているのだから、そこを納得させる力があるのだろう。きっと、だんだんと自分の事故した瞬間の記憶が蘇っていって、架空の世界から現実の世界に景色が変わって、最後には悲しそうに、寂しそうに泣く家族と、自分の遺影の立てられた仏壇が目に映る。

 そして「あぁ、そうだ。自分はあの時、死んでしまったんだ。」と気づくのだろう。

心がギュッとなってしまう。そんな辛いことあるか。あんなに幸せだったのに、こんなに辛いことあるのか。



 そう思ってから、今僕がいるこの現実も実は架空なんじゃないか、僕は既に死んでいて、いつか見ず知らずの霊能力者が現れて、「君は死んでいるんだよ」と僕に告げにくるんじゃないかと思うようになった。

よしんばそうだとしても、それを自分の力で暴く方法がないのなら、この架空の世界をバレるまで生きるしかないのだろう。

 こんな事を考えていたら、ここまでの道のりも相まって本当に変な世界に迷い込んでしまった気分になるから、やめておこう。

 迷い込んだ?やっぱり迷子になっているのか?違う違う。あくまで比喩だ。



 さてどうしたものか。どうやら一本道だったこの道を戻って、あのメイン通りに今一度出なくてはいけないのか。あまり乗り気がしないがそれしかないのなら仕方ない。そして来た道を戻ろうと足を進めてすぐに思い至る。

 …とりい。トリイ。Torii。鳥居?

 鳥居があるといことは、入口があるという事。道があるという事。今一度、鳥居の方に目を遣る。そこには、道とは言えないほどの、周りと比べて草が控えめに生えた状態の通りができていた。

 まあ、鳥居というには心細い程の鳥居に、通りというには心細い程の通り。それ相応の組み合わせだろう。

 目的地の神社では無いが、入り口は違うだけで道祖神の祠がある山である事は同じ。またあのメイン通りに出て道に迷うかも知れない危惧もある。それなら、この心細い鳥居をくぐって心細い通りを進んだ方がまだ良い。

 それに、小さい鳥居があるという事はその先に祠があるという事。それがもし道祖神の祠なのだとしたら。条件は揃った。僕はこの山道を進むことに決めた。

 いざ、入山。





 《6》



 鳥居をくぐらなくとも、かわして山に入る事はできるが、それは流石に罰当たりだろう。罰を当てる程の力をまだ有しているのか疑わしい程にボロボロの鳥居だが。

 「裏からどうぞ」と言われれば鳥居は潜らなくても良い、なんて話を聞いたことがあるが、それ誰が言うんだ?神主か?ならば辛うじて罰を当てる力が残っていても、さすがに神主はいないだろう。いるならここまでボロボロに放置しているあんたが何より罰当りだ、と苦言を呈したくなる。

 ここは例に倣って、郷に入っては郷に従ってくぐろう。

一度足を止めて深呼吸。空を見上げる。空の色は黄昏時、逢魔時を知らせてくれていた。

 両脇から入り口にはみ出た草木を手で掻き分けて、右足を一歩踏み入れた。そして左足も前に出して僕は体を少し屈めながら鳥居をくぐった。

 その瞬間一気に姿勢を正した。反射的に体の隅々に力が入る。



 何かに見られている。



 これに似た感覚は僕にとっては馴染みある事で、つまるところ、霊的な何かによる視線を感じたのだ。ここで「似た感覚」というのがミソ。何度も感じたことのある霊的な視線なら兎も角、これはあくまで似ているというだけで、それではないという事だ。

 さらに、もっと不思議なのは、今突然何かに見られた、と言うよりは、何かに見られていた事に今突然気が付いた、という方が感覚としては正しいのだ。

 僕は霊感があるというだけで、霊的現象の究明ができるわけではない。

『山というのは、それだけで神様みたいなもの』なんてセリフを、何かの本で読んだ事がある。山が人間の領土ではない事は承知の上。ましてやその山に逢魔時に入るなんて、夕飯の時間に人の家に急に上がり込むのと同じだろう(多分)。それは視線を感じて当然だ。

 しかし、この場合は、ずっと見られていた事に気付いた訳だから、少し事情が違う。山に入る前から見られていたという事。だからと言って踵を返す理由にはならない。とりあえず進もう。

 案ずるより産むが易し。しかしそれは見方を変えれば、問題の後回しでもある。今僕は、易く産んだ行動の末、案ずる時が来た。

 この山道が、道祖神の祠に続いているのかはわからないが、よしんば道祖神の祠を見付けたところで、何かのスイッチがオンとなり、突然目の前に道が現れていざなわれる、というわけではない。

 それに、おばあちゃんの話から推察するに、クダンの祠を見た人は、道祖神の祠付近で道に迷ってクダンの祠にたどり着いただけで、決して道祖神の祠に向かっていたら、という話ではないように思う。

 ならばこの時点でキーワードは『道祖神の祠』ではなく『道に迷う』という事になるのだろう。

まったく、易く産んだ行動の末にどっこい案じてみたら、次なる行動は『迷子』になるとは。

 しかし、迷子ってなろうとしてなれるものなのか? 当然ながら公道に比べて山道はそこまで沢山ない。基本的に一本道でたまに交差点や枝分かれがあるくらいだ。今歩いている山道も今のところ一本道。一本道で迷子になるのは不可能だから、進んだ先の分かれ道でどんどん適当な道を選んでしまおう。



 進行方向に目をやると、祠らしきものは僅かも目に入らない。なかなか歩くらしい。

 急勾配とは言わずとも傾斜がある山道を歩くときは自然と顔が下を向いてしまう。舗装された道ではなく、あくまでも踏み固められた土道を歩いているから、足元は十分に注意しているのだが、別にその為に下を向いているのではない。僕が下を向いて歩く理由は言わずもがなだ。



 木々の隙間から見える空はかろうじてまだ黄昏時であることを教えてくれていた。ブルーモーメント。時計を持ち歩いていないので今何時かがわからないが、早朝と夕暮れの空は本当に地球が回っている事を実感させてくれる程あっという間に変わっていくのに、なんだか今日の夕暮れはスローモーションに感じる。因みに僕は携帯をまだ持っていない。家に帰ってまで連絡を取りたい友達がいないからね。だから携帯での時間確認もできないわけだけど、正直暗くなった山の中でいつまでもフラフラしたいとは思わないから、今日だけは時間を気にしながら行動したかったけれど、これから迷子になろうとしているのだから、ここは腹を括ろう。



 だいぶ歩き始めた頃、今一度進行方向に目をやると、まだ祠らしきものは見えない。

 再び歩き出そうと目線を足元に戻した時、進めようとした足が止まった。否、自分で止めた。

目線を戻したその山道に、足跡があった。

 ある程度踏み固められた山道ではあるが、季節柄湿気を吸った土道にはそれなりに足跡が残っていた。今までずっと地面に目線を遣りながら歩いていたのなら、これくらいの足跡は気づきそうなものだが、易く産んだ行動の先を案じていた事もあったので、気付かないのも無理はないか。

 足跡がある。つまりこの先に誰かいるということ。足跡を見るにこの先にいる先客は1人のようだが、まさか先を越されたとは。誰かと遭遇する事を避けてわざわざこんな夕暮れを選んだのに、この先で誰かに遭遇することになるのか。それにしてもこの足跡も一人で来たということは、僕と同じ友達のいない人だろうか。それともみんなよりも先に見つけて、優越感に浸ろうと先手を打った人だろうか。否、クダンの祠探しではなく、純粋にこの先の神仏にお参りに来たという人の可能性もある。

 しかし正直夜になっても仕方ないと腹を括った身分としては少しホッとした部分もある。誰かがいるのなら、それが見ず知らずの人だとしても心強い。この山道を降りてくる足跡がないということは、まだ下山はしていない、もしくはこの先に別の場所に抜ける道があるということか。

いっその事追い付いてしまおうか、と進むスピードを上げた。

 その途端、足を滑らせて転んでしまった。膝を地面に打ったが、咄嗟に両手を付いて体を支えたので、幸い大した怪我にはならなかった。やれやれ、怪我だけは気をつけないと。心強さから上がってしまったテンションを抑えて、ゆっくりしっかりと再び歩み始める。



 今一度進行方向に目をやると、まだ祠らしきものは見えない。

 こんなに長い道のりなのか。祠や神社を建てるにあたって何がしかの定義に基づいて場所を決めているのだろう。そりゃあどこでも良いという訳ではないのはわかる。お参りしやすいように適当に近い場所を選んでいたら、信仰にあたる崇高なものとしては、色々と歪みが生まれそうな気もするが、ここまで遠くなきゃダメだったのか。まあ何度も言うけれど、人間の領土ではないのだから、お邪魔している分際で文句を言う資格はない。お邪魔なんて言うと僕の方が悪魔というか化物みたいな扱いになってしまうが、領土を超えて踏み込んでくる者が真っ当でない事は当然だ。国によっては戦争の引き金にもなり得ない行動だ。そりゃ化物扱いも当然といったところか。

 なんていちいち大げさな物言いをするのは悪い癖か。



 自分を戒めて進んで行くと、途中先人の足跡にズルッと地面を擦った跡があった。ある程度踏み固められた山道ではあるが、季節柄湿気を吸った土道は滑りやすいのだ。きっとこの人も足を滑らせたのだろう。この場所にうずくまっていないという事は、ここでの大きな怪我は避けたということか。

 しかしこの先で怪我でもしていたら、流石に放っては置けない。その時は肩を貸して下山することにしよう。そうなれば探索は延期になるが、背に腹は変えられない。

 お互い怪我のない体一つで会いたいものだ。

 なんだか足跡を見つけてから、誰とも会いたくないからこんな日を選んだのに、まだこの先にいるかもわからない人にやたら親近感を覚えて会える事をすごく期待してしまっている。情けなくもなるが、それほど自分の不安も増してきているのだろう。そこも背に腹は変えられない。



 もう一度足を止めて深呼吸。空を見上げる。

 木々の隙間から見える空はかろうじてまだ黄昏時であることを教えてくれていた。ブルーモーメント。時計を持ち歩いていないので今何時かがわからないが、早朝と夕暮れの空は本当に地球が回っている事を実感させてくれる程あっという間に変わっていくのに、なんだか今日の夕暮れはスローモーションに感じる。因みに僕は携帯をまだ持っていない。家に帰ってまで連絡を取りたい友達がいないから………………………。



 待って!おかしい!さっきも同じ事を言っていた気がする。

 否、空や時計や携帯が云々だけじゃない。その前からなんだか同じ事を言っている気がする。

 そもそも、歩いた距離も相まって体感ではこんなに時間が経っているのに、まだ日が暮れていないのは最早勘違いの領域をはるかに超えている。絶対におかしい。祠探しの最中、山中で日が暮れる事に腹を括った身分としては、ここまで一向に日が傾かないのは恐怖だ。否、もし腹を括っていなくても、ずっと日が暮れない空を見て「よかった。安心。」とはならないだろう。



 どういう事だろう。

 それとも、本当にただの思い過ごしで、空は順当に傾いているのに僕の不安感が体感を狂わせてすごく時間が経ったように勘違いしているだけなのだろうか。だとしてもおかしいくらいに、体感と時間が合わない。

 本格的にヤバイ状態になってきた。山とは、ここまで人をおかしくするものなのか。

 自然に触れて人間社会じゃ味わえない癒しを得る、なんていうのは良くあるが、それと同じくらい人間社会じゃありえない程に感覚を狂わせる事もあるのか。

『山というのは、それだけで神様みたいなもの』か。言い得て妙だ。奇妙な程に。人間の領域ではないという事を、完全に生半可に捉えていた。



 グリム童話にあるヘンゼルとグレーテルに倣って、ここまでの道程に小石を落とすくらいの用心深さはあって然るべきだったのかも、と懸念してしまったが、すぐにその心配は無くなった。小石を落としながら歩かなくとも、舗装されてない土道には先客同様に僕の足跡が付く。自分のここまでの足跡が小石の役割を担っているし、何より足跡がつかなくとも、ここまで一本道だから踵を返せば迷わず帰れる。まあ目的のために迷子になろうとしている以上、こんな事実を再認識して安心するのは少し的外れな気もするが。

 そんな事を思いながら何気なく後ろを振り向いた。そして再び進行方向に目線を戻した時に、

「ん?なんだ?」一瞬何かが気になった。

 そのまま勢いで進行方向を向いてしまったが、今振り返った後ろの景色に何か違和感を覚えた。

 今一度後ろを振り返る。しかし一見違和感は何もない。僕は今何が気になったのだろう。

 周りは今までと同じ木々に覆われた山の中。舗装のされていない踏み固められただけの一本道。その一本道に付いている僕の足跡は、今僕が立っている場所まで伸びているし、一本道の先にはやはり鳥居は見えないし。木の隙間から見える空は、不気味だが相変わらず黄昏時だし。それと他には……

ん?いや、他に探す必要は多分ない。今確認した中に同じように違和感を覚えた。

 山の中、一本道、足跡、鳥居、黄昏時。………足跡?

 ゆっくり視線を山道に戻すと、足跡。僕の足跡。



「……………え?」



思わず声が漏れた。そこにあった足跡は、僕一人分の足跡だった。

「なんで?」先ほどから進行方向にあった先客の足跡が無くなっている。

 普通なら、振り返れば僕のと合わせて2人分の足跡が残るはずなのに、一人分しかない。今一度進行方向に目を遣ると、やはり先客の足跡が道の先まで伸びている。なのに振り返ると一人分の足跡しか残らない。

 僕の歩幅がたまたま先客の足跡にくっきり重なって歩いてきたのか?確かに足跡を見つけて以降、先客の事ばかりを意識して歩いてしまっていたから、意識するが故に無意識に足跡を重ねながら歩いていたという事なのか。一寸のずれもなく?

 いや、そんな偶然はありえない。だとしたら、なんで先客の足跡がないんだ。

ここまで付けた僕の足跡と、ここから先に延びる先客の足跡をゆっくり目で辿る。間も無くして、先客が僕同様に足を滑らせた跡が目に入る。そのまま足跡を辿ろうとした時、そこにさっきまで気付かなかったものが目に入った。

 足を滑らせた跡の近くに………手?手跡だ。まるで転んだ瞬間に体を支えるために咄嗟に付いてしまった手跡が薄っすら…………あれ、まるで僕が転んだ時と同じ光景が頭に浮かんだ。

 その瞬間、体に一気にゾワッと寒気が走った。



「これ、もしかして、僕の転んだ跡?」



直ぐさま後ろを振り返り、自分の足跡をじっくり見て、間髪いれずに進行方向にある先客の足跡を見ると、歩幅がほとんど一致していた。足跡と一緒に薄っすら付いている靴の裏の跡が僕の履いている靴と同じ跡だった。



「もしかして、僕はずっと同じところを歩いている?」



 そこでやっと気が付いた。何故過ぎた道に先客の足跡が残らないのかと疑問に思っていたが、何の事は無い、いると思っていた先客なんて最初からいなかったのだ。

 僕は同じ所をずっと歩かされていて、自分で歩いてつけた足跡を見つけては、先客がいると思ってずっと自分の足跡を追いかけていただけだったのだ。

 これから迷子になろうなんて思っていたが、何を隠そう僕はとっくにこの一本道で迷子になっていたのだ。

黄昏時がいつまで経っても変わらない事にも得心いった。僕はずっと進まない道を歩き続けて、ずっと進まない時間を過ごし続けたのだ。



 狸に化かされる、なんて体験談を聞いたことがあるけれど、この状況に変換して言わせてもらえるなら、これはきっと、クダンに化かされたのだろう。

 でもいつから?この山に入ってからずっと?

 否、迷子というなら他にも心当たりがある。あの鳥居に辿り着く前、町のメイン通りを歩いていた時から何度も目的の曲がる道を過ぎていた。結局緊急回避として知らない道を曲がることで、その場を凌いだつもりでいたが、その道は地元なのに全く知らない道で、最終的にあの鳥居にたどり着いた。

 きっと、学校を出た時点で既に。

 そう言えば、入り口で鳥居をくぐって山に入った瞬間に感じたあの視線は?山を登ることに夢中で気付かなかったが、いつから視線が消えた。あんな特殊な感覚、山を登っていたからなんて理由で意識の外になるとは思えないのだけれど。

 いや、違う。これは、視線が消えたのではない。視線が既に馴染んでいるんだ。あんな不気味な感覚がこんなにも早く馴染むなんて事、あるのか。

 誰かに見られていた感覚が、誰かに見守られている感覚になっている。僕は既に、何かに取り込まれていたんだ。



 今までの点と点が線になって、ゾッとした感覚を、無理やり抑えた。

 だめだ。ここで恐怖に陥ったらもう後にも先にも足が進まなくなる。それでも思考が止まらない。

 じゃあ足を進めたとしても、どうやってこの道を抜け出せばいいんだ。この一本道を。

 じゃあそもそも、僕はどこに来たのだ。僕は今どこにいるんだ。

 このままだと、どうなってしまうんだ。

もう抑えきれない。一気に恐怖心が足元からゾワっと体を登ってきて、頭のてっぺんまで恐怖で染まってしまって、咄嗟に顔を上げた瞬間、それは目に映ってしまった。





 《7》 



 祠だ。

 小さい祠。そして、ボロボロでガタガタで、辛うじて祠と認識できるような祠だ。

 それも、進行方向数十メートル先に。先ほどまで無かった場所に急に現れた。

 そう言えばこの山は隣町との境の山。道祖神というのは、隣との境に祀られる神。じゃあつまりこの祠は道祖神の祠なのか。

 否、ここまでの現象の後に急に現れた祠が、元々あった人工的な祠には思えない。そしてこのボロボロ具合。

 これが、クダンの祠なのか。



 ゆっくり進んで祠に近付き、目の前に立って、その祠を見据えた。

 ここまで来て踵を返すなんて発想は毛頭ない。驚くほど、さっきの恐怖心はもうない。とても落ち着いていて、全く怖くない。怖いくらいに、怖くない。



………………何も起こらない。いささか身構えすぎか。祠の前に立てば次なる何かが起こる気がしたが、それは無かった。



 えっと、目的はなんだったんだっけ。そもそも僕はなんでクダンの祠を探そうと思ったんだっけ。

 確か、都市伝説に出てくる絵描きに異常に感情移入してしまったから。

 神様の様に愛され、悪魔の様に忌み嫌われた絵描きと、悪魔の様に睨まれ、神様の様に手を合わせられた僕。自分を重ねてしまったのがスイッチだった。

 まあ本質的なところは、意志を持った都市伝説による魅了なのだろう。

 しかし、この祠を見つけて何かをしようとしたわけでもない。この目で見て、肌で感じてみたかっただけだ。逆にいえばそれくらいの事しかできない。まさか都市伝説にある大昔の人よろしく、祠を壊しに来たわけでもない。これ以上できることがあるとすれば。

 そうだな、せめてクダンの祠にお参りをする事だ。

 お供え物は、持ってくるのを忘れた。忘れたと言うより元々そんなつもりでは無かったのだが、どう言うつもりでも祠に向かうのならば、最終的にお参りする事は礼儀だ。

 姿勢を正して目を閉じる。

この場合、参拝方法は二礼二拍手一礼なのだろうか。でも確かそれは神社の参拝方法であってここはあくまで祠だ。ここは無難に合掌する事にした。





……………………………………………………。





 どれくらい時間が経ったのだろ。なんだかとても無心になれた。クダンに心の中で何を言うでもなく、絵描きに心の中で何を言うでもなく、他の何を考えるでもなく。ただ無心に目を瞑って合掌するこの体勢のまま、ずっと立っていた。経っていた。

 周りの音は何も聞こえなかった。

 もとい風はそんなに吹いていなかったし、町からの音も何も届いていなかった。

 その上で音がしなかったというのは、空気の音だ。空気が一切の振動をしていなかった。

 その時の状況はただひたすらに、無音で無風で無心で無性に無情だった。

 ではそんな時間がいつどのタイミングで終わったのか、どのタイミングで僕は目を開けたのかというと、周りに空気を感じた瞬間だった。

 全てに対して『無』。自分さえ何者なのか、何をしているのかわからないくらいの『無』。

 名前とか性別とか歳とか人間とか、そんな事すら無くなるくらいの『無』の時間に、空気を感じた。

風が吹いて木が揺れる自然現象と同じように、空気を感じて、自然と目がゆっくり開いた。



「………………………………。」



 まず、脳が追いつかない。

 今まで完全に無だった自分が、自分である事を思い出して取り戻そうとしているが、脳が回らない。

苦しさこそ感じなかったが、息をしていない自分に気付いて、ゆっくりゆっくり、呼吸を始める。そのうち大きくなった深呼吸を繰り返して、ゆっくり人間である事を取り戻していく。

まるで、月面着陸を果たした宇宙飛行士が地球に帰るなりまともに歩けなくなり、地球での活動方法を体が忘れたかの如く、僕も、生き物である事を忘れかけていた。命が、存在が、無重力にあった。



 息は少しずつ追い付いて、脳に酸素が送られていく。目に映るものが徐々に認識できてきた。認識を認識できたところで意識的に周りを見回すと、

「どこだ、ここ」何もない草木だらけに囲まれた状態でポツンと一人で佇んでいた。

 さっきまでクダンの祠に手を合わせていたはず。動いた覚えはないのに、今僕は何もない山の中に一人で佇んでいる。

 そして目の前に、祠はない。

 あれだけ歩いた山道も、草木が覆い茂って無くなっている。僕は一人、道でもなんでもない場所に佇んでいる。

「…………………。」

 せっかく認識できるようになった脳がまた混乱してきた。状況がわからない。夢?

 とりあえず動こうとするや否や、右膝に小さな痛みを感じた。袖をまくって確認すると、アザになっている。

 これは、あの時転んでできたアザだ。じゃあやっぱりあれは間違いなくこの身で体験した事だ。夢落ちではない。

 色々思い出してきた。咄嗟に後ろを振り返ると、目線の先に山の麓があった。

 あれだけ歩いて、一本道で道に迷うほど歩いたのに、山の出口はすぐそこにあった。距離にして二十メートル弱。

 そして、ここまでくるともはや不思議でもない、確認する前から予想できてしまう事だが、その山の出口に、あのボロボロの鳥居はない。

 なんだか溜め息が出てしまう。クダンに化かされたと言うより、馬鹿にされた気分だ。

 恐る恐る麓まで降りて山から出ると、そこはちゃんと自分の町だった。そして、あの鳥居に辿り着いた時の、町の風景では無くなっていた。

 そしてさらに気付いた。空がまだ黄昏時。

 山をあれだけ歩いていても変わらなかった空が、かなりの時間が経っているはずなのに、まだずっと止まっていた。

もうなんだか、正しい事よりおかしい事の方が多くて、逆に正しさを疑ってしまう程にこのおかしさをスラスラ受け入れてしまっている。怖くもないし、探ろうとも思わない。

 とにかく、後いくつおかしい事が残っているのかはわからないし、この後起こるのかもわからないけど、目的は多分果した。その筈だから、帰ろう。

 僕は、今度こそ化かされて帰れなくなるのは嫌なので、うろ覚えの街並みを、必要以上に眺めないようにして歩いて帰った。それが功を奏したのか、家に着くまでに他におかしな事は起きなかった。否、気づかなかった。

 そして家に着いた頃には、日が暮れていた。

 えっと、これは、おかしな事なんだっけ。いや、普通の事だ。

 鍵の空いた、既に電気の付いている我が家の玄関のドアを開けて入る。

「ただいまー」





 《8》後日談



 3日後。月曜日。いつものように学校に着くなり、学校中の話題は少し色を変えていた。

 それはもちろん、先日の日曜日に行われたらしい祠探しの話題である。「祠見つかった?」「どの辺行ったの?」なんて他のグループに聞いたりして、それぞれのグループが今日はまるで大きな一つのグループになっていた。もちろん僕はその中にはいない。漏れ無く漏れている。

 そして、例の道祖神の祠に辿り着いた人は何人かいたそうだが、クダンの祠に辿り着いた人は一人もいなかったようだ。

 聞き耳を立てると、どうやら道祖神の祠はしっかり手入れをされているのか、なかなか綺麗で、お供え物もあって、山中のかなり開けたところにあったらしい。そもそもどうやら道祖神の祠までの道程すらかなり舗装されている道で、途中に石段が現れて、それを登るとあるらしい。あまりのクダンの祠との扱いの差に、少し虚しさすら覚えるが、そもそも扱われていないのだから、手入れも何も無いのだろう。

 先週はあんなに僕の元に来て、手を合わせて誘いというかお願いをしてきた人達も、今となっては誰も僕の元には来ない。もう用済みといった感じか。ひどい扱いだ。

 あの時みんなの誘いに乗っていれば、今頃正真正銘漏れ無く一つのグループになっていて、それからの僕のスクールライフも変わったのかもしれないのだけれど、そこは言いっこ無しだ。

 でも僕はクダンの祠に辿り着いた。別にそんなつもりは本当になかったのに、こうなると少しばかり優越感に浸ってしまう。



 あの日、僕は家に着くなり、あまりの疲労にすぐにリビングのソファーに倒れこんで寝てしまった。体は正直だ。あれだけ歩いた証拠は体の疲労感と、膝の痣が証明してくれている。肯定してくれている。もし、歩数計を持って歩いていたらどうなっていたんだろう、と戯れに考えながら、眠りに落ちたらしい。

 目が覚めた時、時刻は午前1時。空腹で目が覚めた。リビングには誰もいなかった。時間からして当然か。もう寝たのかなと思ってテーブルを見ると、ラップをされたご飯と置き手紙が一枚。

 そこには「お父さんとおばあちゃんの病院に行きます。ご飯レンジでチンして食べてね。ちゃんとお風呂入って寝るんだよ。母」と記されていた。

 お婆ちゃんに何かあったのか、と急に不安になるけれども、何にせよ僕に今出来ることはない。

 僕は気持ちを落ち着かせるために、まずお風呂に入って、ご飯を食べて、歯を磨いて布団に入った。それでもお婆ちゃんの事を考えないようにする事は出来なかったけれど、とりあえず僕は就寝した。

 朝起きてリビングに行くとお母さんがいた。

 事情を聞くと、どうやらおばあちゃんの容体が急変したらしく、病院の人に電話で呼ばれて急遽向かったそうなのだが、何とか容態は落ち着いて朝方帰って来たらしい。けれど、少し様子を見るため、今日はとりあえず面会は出来ないとの事なので、僕は今日中のお婆ちゃんへの報告を諦めた。

 翌日の日曜日も面会はできなかった。



 そして本日、月曜日の放課後。

 今朝お母さんから面会ができるようになった事を聞いたので、僕は病院に向かった。

 ロビーにお婆ちゃんの姿は無かった。受付を済ますなり、なるべく床を見ながらナースさんに案内された病室は、いつもと違う病室だった。違う階の奥の病室。一人用の病室にお婆ちゃんはいた。何本か管を体に付けて少し痩けたおばあちゃんが僕に気付くなり、いつもの笑顔で名前を呼んだ。

「くるみ、いらっしゃい。」

 いらっしゃい、なんて言わないで欲しい。前からずっと思っていたが、それじゃあまるでここがおばあちゃんの居場所みたいじゃないか。もう、家に帰ってこないみたいじゃないか。この日はいつもより強くそう思った。

「ごめんね、迎えに行けなくて。」おばあちゃんの声は、いつもより枯れている。

「大丈夫なの?」

「うん。邪魔な管を沢山つけられて心地悪い事以外は、いつも通りだよ。」

「でも取っちゃダメだよ」

「うん。ありがとう。」

 少し間が空いて、話を切り出そうとした時、お婆ちゃんの方から「行ったの?。」と聞いて来た。

「うん」

「見つけたの?。」

 少しためらってから、お婆ちゃんなら信じてくれると信じて、金曜日の黄昏時の出来事を全て話した。

 話し終わるときには、ちょうど病室の窓から見える空も黄昏時になっていた。

 話を聞き終えたお婆ちゃんは、すごい満足そうな顔で、「今日のくるみの話もとびっきり楽しい話だったね。」と言った。

「信じてくれる?」と尋ねると「信じない。」と言った。えっ、信じてくれないのか。

「お婆ちゃんは今まで、くるみの話を信じた事なんてないよ。陽がさせば陰もさす。信じると言うことは疑っていた、と言うこと。逆に言えば、疑うと言うことは、信じようとしていた、と言うこと。お婆ちゃんはもともと、くるみを疑っちゃいないからね。信じない代わりに疑う必要もない。」

 うーん、何だろう。含蓄があるのか、煙に巻かれたのか。

「それで、くるみはクダンの祠に辿り着いて、お参りまでして、沢山不思議な経験を身をもって肌で感じて、クダンは神様と化物、どちらだと思ったの?。」

 そうだ、それが本題だった。もうなんだか本題なんてどこかに消えてしまったと思うくらい、いろんな事を経験したけれど、さすがお婆ちゃん、芯はずれない。

「お婆ちゃんはさ、そもそも神様って何だと思う?」質問返し。

 そんな僕をお婆ちゃんは驚いた目で見て、少し間を置いてから。

「いろんな神様がいるけど、自分から『神様です』って言った神様はいないんじゃないかな。勝手に私たちが神様にしているだけなんだろうね。だから化物だと思った人には化物なんだよ。神様も化物も人間も同じ。人間だって死んでしまったら幽霊になるしね。それも妖怪変化の一つ。だからもしかしたら神様っていうのはみんな元々この世で生きていた生き物なのかもね。」

 これは含蓄のある言葉だ。

「逃がさないよ。くるみはクダンをどう思ったの?。」

 逃げるつもりじゃなかったけれど、お婆ちゃんは煙に巻かれた気分だったのかな。

「僕には、神様にも化物にも思えなかった」

 その答に、少し間を開けてお婆ちゃんが続けた。

「怖かった?。」

「怖かったり、怖くなくなったり」

「そっか。祈ったり、願ったり、讃える気持ちが信仰であるのと同じように、怖がるのが信仰になる神様もいるよ。恐れ多い存在だからね。怖がられないと意味がない神様もいるの。」

「嫌な神様だね」率直な意見を言うと

「じゃあ化物でもいいよ。」と返された。



 恐怖心が信仰心。クダンにとっての信仰は、恐がる事だったのかな。確かに僕はあの日、慣れない校門から学校を出るときには、既に不安と恐怖が見え隠れしていた。学校を出てから道に迷い、招かれるように、まんまとあの鳥居の入り口に来た。そして、人間の領土を超えた山に入るなり、クダンに見られ、魅せられて、あの山をずっと歩かされた。ここまでクダンが僕に施して招いておいて、いつまでも祠にたどり着かなかったのは信仰心が足りなかったから。本当はずっと目の前にあったのかもしれない。それでも僕には信仰不足により見えなくて、いろんな不可思議に気付いて一気に恐怖心が僕を染めた事で、信仰に繋がり、祠が見えた。

 あの一本道の進行で足りなかったのは、僕の信仰だったわけか。



 僕はお婆ちゃんに、今の気持ちをそのままぶつけることにした。

「何だろう。まだ上手く言えないんだけど。クダンも絵描きも、僕には何者でもない本人自身なんだと思う。後から何か言われたりして、恨まれたり讃えられたりしても、それはあくまでその人の中にある存在の話で、本人はどこまで行っても本人だと思う。それ以上でもそれ以下でもない。逆に言えば、それ以上にもそれ以下にもなれないと思う。世の中、死んだらすぐ伝説になるし、死んだらすぐ物語になっちゃうけど、本人たちはただただ、命を生きただけ。そして、その生き方が、逝き方になっただけ。その後の後日談はみんなが好きにすればいいと思う。だから僕は、クダンも絵描きも、生き物だと思った。」

 上手く言えなかったけど、ありのままを言えた気がした。

 お婆ちゃんはそんな僕の話を聞き終えてから数回、「うん、うん。」と頷いていた。

「後日談で化物にされようが神様にされようが、何でもよかったけれど、1つだけ嫌だったことは、忘れられる事。覚えていてくれるなら、その人の中でどれだけ形が変わってしまってもよかった。むしろそれでも覚えていてくれてありがとう。て言う気持ちなのかな。愛の反対は憎しみではなく、無関心か。何だか、少し胸がキュってなる話だったね。」

 お婆ちゃんが言ってから、僕とお婆ちゃんは沈黙してしまった。

 どうやら今のお婆ちゃんの言葉で、この話にはオチがついたみたいだった。

 都市伝説のタイトル、『クダンの祈り』。

 祈られたり、恨まれたりする存在が、唯一祈った事。



「じゃあ、そろそろ暗くなってきたし、今日はもう帰りなさい。来てくれてありがとうね。」

「うん」僕は椅子から立って、「またね」と言って部屋のドアに向かって歩いた。

 いつもと違う病室に違和感を覚えながらドアを開けると、「くるみ。」とお婆ちゃんが呼んだ。

 振り向くと、お婆ちゃんは満足そうな顔で

「クダンの事は、おばあちゃんもずっと若い頃から気になっていた事だったの。このまま何となくで終わっちゃう気がしていたけれど、くるみのおかげでおばあちゃんはクダンを好きになれたよ。ありがとうね。」と言った。

 そう言えば、僕が祠探しから帰ってきたらお婆ちゃんの答えを教えてくれる約束だった。

 それを僕自身が忘れていた時点で、お婆ちゃんを責める権利はないが、してやられた気分だった。

 お婆ちゃんの答えはきっと、「わからない。」だったのだろう。

 それでも今の話で、僕同様にお婆ちゃんの中でも決着がついた。ピリオドを打てた。クダン同様に僕はお婆ちゃんにも化かされたと言うことか。馬鹿にされたわけではないだけ良しとしよう。



「こちらこそ、ありがとう」

するとおばあちゃんは立て続けにこう言った。

「一つだけ、お願いしてもいい?。」

「なに?」

お婆ちゃんは今までにない満足そうな顔で、僕に言った。

「お婆ちゃんが死んでも、神様にしないでね。」



 クダンの祈り、お婆ちゃんの願い。祈りと願いの違い。

 少し沈黙してから、

「………………うん。わかった」と言った。

 願う事も祈る事もしない僕は、お婆ちゃんを神様にしないという事を、誓う事にした。

 そして僕は、病室を出た。





                                         【神】

novelのbottom画像

小説一覧に戻る